二戸まで行っているのに、ついぞ訪ねられなかったのが
「座敷わらしの里」
とも言われる、
金田一温泉でした。
先月末、八戸に行く機会があり、その帰りを利用して、ついに未踏の地へ行くことが出来ました。
(三善英史さま、早朝にホテルを出たモノで御挨拶できず、失礼しました。天気予報は三善さんのヒット曲「雨」でしたが、チョ〜外れて好天となり、チョ〜日焼けしてしまいました)
座敷わらしに会いたい
知る人ぞ知る、座敷わらしの出る宿『緑風荘』へ向かいますと、入口にあったのが
金田一京助先生の歌碑でした。
ナント、聞いてびっくり、金田一先生のご先祖様は、この地、金田一の領主だったのです。
京助先生はたびたび訪れ、温泉の歌を詠み、その歌碑が建立されているという次第でした。
緑風荘は、写真にありますように、正面は近代建築で、ありゃりゃと思いつつ、中に進むと昔ながらの家屋で安堵しました。
あらかじめ、電話で見学の申込みをしておりましたが
「見物料はいりませんよ」
ならば、いくがしか心付けと思っていたところ、フロントの案内板に
「入浴料五百円」
の提示がありました。
そうです、温泉だったのです。入浴のついでに拝見ということで、格好がつきました
雰囲気が出て参りました。
そして訪れる人の多さを物語りますのがこれです。
さあ、今日のその時がやってまいりました。
こんにちは〜
槐(えんじゅ)の間
でございます。
贈り物のぬいぐるみ、おもちゃがたくさん飾られています。
この部屋に出る座敷わらしは
「六歳でなくなった亀麿(かめまろ)」
という男の子と伝えられ、庭には座敷わらしを祀る亀麿神社もありました。
座敷わらしに会える宿。
この槐の間を目当てに宿泊予約する人が多く、この日も午後二時までならオーケーということで、
「会いたい」
とは思いつつも、まさか昼間は出ないでしょうから、せめて雰囲気だけでも……。
「
ひょっとしてカメラに写らないかな」
というのが切なる願いでございました。
百枚近く撮影しました。
その日、帰京後、早速チェックしたのですが、やはり映っていませんでした。
「せめて夢の中に出てきてね」
と眠りにつきました。
その夜は熱帯夜で、寝苦しく深夜目覚めると
「出た〜っ!」
横に眠っていました。
我が家には座敷わらしならぬ、座敷豚がいました。
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