07年9月04日
 

  二戸まで行っているのに、ついぞ訪ねられなかったのが
「座敷わらしの里」
 とも言われる、 金田一温泉でした。
 先月末、八戸に行く機会があり、その帰りを利用して、ついに未踏の地へ行くことが出来ました。

(三善英史さま、早朝にホテルを出たモノで御挨拶できず、失礼しました。天気予報は三善さんのヒット曲「雨」でしたが、チョ〜外れて好天となり、チョ〜日焼けしてしまいました)

 座敷わらしに会いたい

 知る人ぞ知る、座敷わらしの出る宿『緑風荘』へ向かいますと、入口にあったのが

 金田一京助先生の歌碑でした。
 ナント、聞いてびっくり、金田一先生のご先祖様は、この地、金田一の領主だったのです。
  京助先生はたびたび訪れ、温泉の歌を詠み、その歌碑が建立されているという次第でした。

  緑風荘は、写真にありますように、正面は近代建築で、ありゃりゃと思いつつ、中に進むと昔ながらの家屋で安堵しました。

 あらかじめ、電話で見学の申込みをしておりましたが
「見物料はいりませんよ」
  ならば、いくがしか心付けと思っていたところ、フロントの案内板に
「入浴料五百円」
  の提示がありました。
  そうです、温泉だったのです。入浴のついでに拝見ということで、格好がつきました

  雰囲気が出て参りました。
  そして訪れる人の多さを物語りますのがこれです。

 さあ、今日のその時がやってまいりました。
 こんにちは〜
   槐(えんじゅ)の間
 でございます。

  贈り物のぬいぐるみ、おもちゃがたくさん飾られています。
 この部屋に出る座敷わらしは
「六歳でなくなった亀麿(かめまろ)」
  という男の子と伝えられ、庭には座敷わらしを祀る亀麿神社もありました。

 座敷わらしに会える宿。
 この槐の間を目当てに宿泊予約する人が多く、この日も午後二時までならオーケーということで、
「会いたい」
 とは思いつつも、まさか昼間は出ないでしょうから、せめて雰囲気だけでも……。
「 ひょっとしてカメラに写らないかな」
  というのが切なる願いでございました。
  百枚近く撮影しました。
  その日、帰京後、早速チェックしたのですが、やはり映っていませんでした。

「せめて夢の中に出てきてね」
  と眠りにつきました。
  その夜は熱帯夜で、寝苦しく深夜目覚めると
「出た〜っ!」
  横に眠っていました。
  我が家には座敷わらしならぬ、座敷豚がいました。

 

 
Copyright〈C〉2004. [ U4 project ] All rights received.
 
遊歩Web 青空遊歩ホームページ