07年9月25日
 

「地を離れて人なし。
   人、離れて事なし。
  自らの生涯を一遍の詩にたくした吉田松陰寅次郎。
 身はたとえ武蔵の野辺に朽ちるとも、とどめおかまじ大和魂」
 
  これは、尾形大作さんの司会をしていた時、ヒット曲・吉田松陰のイントロにのせたナレーションです。
 先日は珍・日本紀行in長州で、久々に語らせていただきました。

 in長州ではありますが、ネタがあり過ぎる山口県内の史跡をご覧戴くより、山口と他府県を結ぶオハナシをしてまいりました。
 とりわけ、日本各地に点在している吉田松陰遺跡を中心にまとめてみました。
「歩くことがこの若者の青春だった」
 司馬遼太郎先生が『世に棲む日々』であらわした一文は、まさに吉田松陰の人生が凝縮されています。
「えっ、こんなところまで来ていたの?」
 その足跡は日本中に及んでいます。
 たとえば、松蔭先生遺跡の北限がここです。

吉田松陰碑

 写真は青森の竜飛岬にある吉田松陰碑です。
 私めの吉田松陰に関する全ての写真をお見せして
 松蔭先生は芭蕉より日本を歩いてました
 という、レポートに集結した内容となりました。
 
 そして、今回は想定外の1日でした。
 というのも、うけると思った密航失敗の地・下田のハナシが空振りで、これは軽く流そうとしていた東京・世田谷は松蔭先生の墓所がある松陰神社境内の

松下村塾

 この写真に感嘆と、どよめきの声があがりました。
 松下村塾のレプリカです。
 萩にあるホンモノを模して建立されている姿をご覧戴きました。
 やはり、ホンモノを知る方たちには格別、感慨深いものがあったようでした。
 
 もうひとつの松下村塾
「松下村塾は萩と東京、そしてもうひとつ千葉にあります」
 と、ご紹介したのが下の写真です。

 この日一番の爆笑を呼びました。 
 山口といえば、天下国家を論じる県民性ですから、
「松蔭先生を冒涜している」
 お叱りを受けるのではと、 実は恐る恐る出したものでした。
「ここからも、平成の高杉晋作、 久坂玄瑞、伊藤博文が出ることに期待しましょう」
 な〜んて、まとめましたらば、喝采の拍手。
 珍・日本紀行ならではの洒落の部分にご理解いただき、安堵した次第です。
 それにしても、あんなにうけるとは思いませんでした。
 今回は『もうひとつの松下村塾』でした。
 このように『もうひとつの何々』を沢山ストックしています。
「もうひとつのシリーズいけるぞ」
 珍・日本紀行に、もうひとつジャンルが加わりました。

 

 
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