「地を離れて人なし。
人、離れて事なし。
自らの生涯を一遍の詩にたくした吉田松陰寅次郎。
身はたとえ武蔵の野辺に朽ちるとも、とどめおかまじ大和魂」
これは、尾形大作さんの司会をしていた時、ヒット曲・吉田松陰のイントロにのせたナレーションです。
先日は珍・日本紀行in長州で、久々に語らせていただきました。
in長州ではありますが、ネタがあり過ぎる山口県内の史跡をご覧戴くより、山口と他府県を結ぶオハナシをしてまいりました。
とりわけ、日本各地に点在している吉田松陰遺跡を中心にまとめてみました。
「歩くことがこの若者の青春だった」
司馬遼太郎先生が『世に棲む日々』であらわした一文は、まさに吉田松陰の人生が凝縮されています。
「えっ、こんなところまで来ていたの?」
その足跡は日本中に及んでいます。
たとえば、松蔭先生遺跡の北限がここです。
写真は青森の竜飛岬にある吉田松陰碑です。
私めの吉田松陰に関する全ての写真をお見せして
松蔭先生は芭蕉より日本を歩いてました
という、レポートに集結した内容となりました。
そして、今回は想定外の1日でした。
というのも、うけると思った密航失敗の地・下田のハナシが空振りで、これは軽く流そうとしていた東京・世田谷は松蔭先生の墓所がある松陰神社境内の
この写真に感嘆と、どよめきの声があがりました。
松下村塾のレプリカです。
萩にあるホンモノを模して建立されている姿をご覧戴きました。
やはり、ホンモノを知る方たちには格別、感慨深いものがあったようでした。
もうひとつの松下村塾
「松下村塾は萩と東京、そしてもうひとつ千葉にあります」
と、ご紹介したのが下の写真です。
この日一番の爆笑を呼びました。
山口といえば、天下国家を論じる県民性ですから、
「松蔭先生を冒涜している」
お叱りを受けるのではと、
実は恐る恐る出したものでした。
「ここからも、平成の高杉晋作、
久坂玄瑞、伊藤博文が出ることに期待しましょう」
な〜んて、まとめましたらば、喝采の拍手。
珍・日本紀行ならではの洒落の部分にご理解いただき、安堵した次第です。
それにしても、あんなにうけるとは思いませんでした。
今回は『もうひとつの松下村塾』でした。
このように『もうひとつの何々』を沢山ストックしています。
「もうひとつのシリーズいけるぞ」
珍・日本紀行に、もうひとつジャンルが加わりました。
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