07年11月6日
 

 まもなく暦は冬を告げますが、今年の秋は如何ですか?
 食いしん坊の私め、食欲の秋でございます。
 それも、蕎麦っ食いですから、日に2食は蕎麦しています。
 この季節、ラーメンは食しません。
 蕎麦と漢字表記しているのも
「日本そば」
 と記したくないからです。

  新蕎麦はじめました
 先月末から、お蕎麦屋さんで、この幟が掲げられていますよね。
 1年で一番、蕎麦の美味しいシーズンです。
 …厳密に言えば、蕎麦粉は輸入に頼っていますから、一年中、新蕎麦を食べられる時代ではあります。
 それでも、こだわりのお蕎麦屋さんは
 国産石臼挽
 という貴重な蕎麦粉を使っていますから季節の味わいを提供してくれています。
 さて、そんなお蕎麦屋さんの屋号に『庵』のつく名前が多いのを御存知でしょうか?

 それは江戸の昔、享保年間(1716〜36)に遡ります。浅草に称往院というお寺があって、大きなお寺につきものの僧坊『道光庵』が寺内にありました。
 道光庵の庵主は信州の人で蕎麦打ち名人でした。
 法要のあとに参詣人に蕎麦を振る舞ったのがきっかけで
「称応院で出してくれる蕎麦はうまいぞ〜」
 評判が断ちますと、人の口から口へと伝わり、人々はお参りよりも、お蕎麦を目当てに訪れますから、称応院という寺名が
 蕎麦切り寺
 と呼ばれるようになりました。
 こうして蕎麦処となった庵主は大忙しです。
 当然、寺の修業がおろそかになります。

 称往院の上人は、そんな庵主を嘆き
「お前が檀家に蕎麦を振る舞うおかげで寺への参詣者が増えたのは結構なことだが修業の妨げになっているようじゃ。明日より蕎麦を振る舞うことは相成らぬ」
 と蕎麦打ちを禁止してしまいます。
 そして世間の人にも、それを告示したのがこれです。

 蕎麦山門に入るを許さず
「仏道修業の障害となるものの入ることを許さない」
 という意味の結界石を山門の脇に建立しました。

 称応院はその後、火事のため浅草から世田谷・北烏山に移転して現在に至っています。
 蕎麦禁止の碑は、今も山門にあり、歴史の証人として往時を偲ばせてくれます。
 お蕎麦屋さんの屋号の『庵』は、このオハナシ『道光庵』にあやかり、
「道光庵のようにおいしい蕎麦を出しますよ」
 というのが、屋号の由来でございます。

 物語の主人公、庵主の名は残念ながら記録から消えています。
 蕎麦打ち名人を崇め、お蕎麦の神様と顕彰したいものです。
 おっと、お坊さんだから神様はいけませんでしたネ。
 …でも、お蕎麦の神様がいたら絶対オトコですよ。
 はい、メンと言って…。
 駄洒落がオチの今回は、このへんで、ごメンくださいませ。

 

 
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