「あっ、花札の絵柄だ」
感じ入った、おところは愛知県春日井市。
小野道風ゆかりの地でございます。
おののとうふうとは、聖徳太子が派遣した遣隋使として知られる小野妹子の子孫です。
小野一族は大雑把にいえば、政争から離れ学芸の道へと転じました。
そして道風は平安時代、書の大御所、 藤原佐理、藤原行成と並び 日本三蹟のひとりとして称された人。
(高校時代、古典を教えて下さった先生は『とうふう』では『みちかぜ』とおっしゃっていまして、私め、みちかぜ派なのですが、ここでは圧倒的多数派に譲り、『とうふう』で通します)
で、ありながら俗な花札で連想してしまう方も多いはず。
それがこれです。
柳に蛙
道風は、書道の壁に当たり、思い悩んでいたある日、蛙が柳に飛びつこうと、何度もジャンプしているところに出くわします。
「蛙の力では飛びつけるわけがないのに…」
井の中の蛙と、あざ笑っていますと、一陣の風が吹き、柳が下にしなった刹那、蛙は見事に跳びついたのです。
私は蛙ほどの努力をしていない
東風は自らを恥じます。
何度も練習することが大切なのだと、その後一生懸命に励み、日本三蹟と呼ばれた。
「東風を見習って努力しましょう」
戦前の国定教科書、今はなく花札の図柄が平成にまで伝える柳に蛙でございます。
私めもそうです。
努力しないで生きていく道はないか
模索している昨今『柳に蛙』は死語となりました。
「師匠、去年1年間で死語になった言葉はいくつあるか知ってる ? 」 とは、春日井の旅をご一緒した東京ロマンチカのリーダー・鶴岡雅義氏でした。
答えは
「しご、『 4 × 5 』 20 と言って 20 だよ」
作曲家として名曲を世に送ったヒットメーカーであり、世界に冠するレキントギターの名手と、鶴岡先生は称えられていますが、ご記憶でしょうか『夜のヒットスタジオ』での、あのオトボケキャラ。
「先生、今のネタ、私めに下さい」
鶴岡先生、駄洒落の天才でした。 |