07年8月28日
 

「先年、亡くなりました」
 数年ぶりに訪れた味の名店で、ご主人たちがいなくなっているという場面が多くなってまいりました。
 そんな年回りでございましょうか、私めに味を教えて下さった名人たちが消えて行く今日この頃です。

 その中でもとりわけ、忘れられない人がいます。
 
21才の時、広島で巡り会った『味・職人』です。
          (昭和54年のオハナシ)

  広島市中区三川町二番三号。
  暖簾をくぐると、カウンターだけの小さな店で、故・古今亭志ん生師匠にそっくりな七〇歳は超えているであろう、老人が御主人で

「うちは、姜(しょうが)で終いや。
  …どうしてかって? 姜は赤いやろ。赤はストップや」
 
  外国人連れの客を笑わせながら天麩羅を揚げていました。

 広島に行くなら、凄い店があるよ
  紹介してくれたのは、食通として評判だった某・一部上場企業の重役でした。
 それなりに財布を膨らませて、気合いは充分なのですが、なにせ周囲の客層は社会的地位が高そうな人ばかり。
  店内は手入れの行き届いた古き良き日本家屋。

「…敷居が高かったな」
 後悔しているところ
「初めてでんな、ようこそ」
  そうだ、気後れしててもしょうがない。当って砕けろだ。
「はい、初めてです。ここに来れば、本物の天麩羅を食べさせて戴けると聞いて、東京から来ました。未熟な味覚ですが、よろしくお願いします」
 客にして下さい
 接待で来ていた他の客たちは
「さすがじゃのう。この店は、東京にまで轟いとんけんのう」
 ご満悦の様子。
「いろんなお客はん、いはるけど、こんなん元気のええ兄ィちゃんは初めてや。まあ、お座り」
  ご主人は客として認めてくれたのでした。

「テーブルの引き出しの中に、お客の七つ道具入っとるで」
  引き出しの中には
 壱 おしぼり
 弐 エプロン
 参 爪楊枝
 肆 ナフキン
 伍 『恋と天変羅は熱いうちが花』と書かれたオリジナルマッチ
 陸 同じく高級割り箸
 漆 何故かショートホープ二本(煙草)


「その煙草が一番旨いからや、揚がるまでの間に一本。食後に一本吸うて貰おうと思うてな」
(私め、その後、愛煙はショートホープです。若き日に出会った畏敬の人に影響されるものです)
 
 
うちは飲み屋とちゃうで
『御一人様、麦酒小瓶一本、日本酒一合マデトサセテ戴キマス』
  メニューにあるのに、ビールを注文したら怒鳴られました。
「わざわざ、わての味を食べに来たんやないか。これから日本一の天麩羅、出したるさかい、煙草も洒も呑んだらあかんねん」
  凄い自信。
 それは私めに対してでなく、店にいる客に言いたかったのだと、後で知らされました。

「コースやで。それもわての選んだモンだけや。ええな」
  かくて青はスタートで、青物から出ました。
 天つゆ? あんなモンつけたら天麩羅、まずうなるわ
「ええネタ、ええ油…わての天麩羅は塩や」
 私め、初めて天麩羅を塩で食べました。
 国営塩化ナトリウム時代に生をうけ21年、初めてホンモノの塩を口にしました。
 
「知ったか振るより、教えて言うた兄ィちゃんの方がええよ。売られた喧嘩は買うで、一流の料理人が、兄ィちゃんを一人前の客にしたるわ」 食事代でなく授業料でした
「ほい、ええ鱚(きす)やで」
 食事も半ば頃になって気が付きました。こちらの食べるペースに合わせ、タイミング良く出してくれるのです。

「そうや。箸袋にも書いてあるやろ。
  恋と天麩羅は熱いうちが花。
 どんな旨いモンかて、ただ出せばええと思うたら間違いなんや間もあるし、味は目もあるで」
  盛り付けが実に華麗でした。
「気いついたかいな、せや、盛り付けのために、料理に関係ないお花習ったんや。凝り性でなぁ、お花も極めてしまったわ」
 そこまで、こだわる。
 もちろん、器もであります。

「あんたら、店ん中にいて何しとんや。
 こちらの兄ィちゃんのお冷やあらへんでぇ。
  美味しい水、注いだってや」
 客を叱れる店というのも凄いですが、いくつ目があるんだろうと思えるくらい完璧なまでの気配りで御主人はのぞんでいるのでした。

「せっかく旨いもん作っても、あんたらがしっかりしてくれんと台無しや。分かっとんのかいな」
 微苦笑を浮かべながら、初老の女性が冷めたい水を持って来てくれました。奥さんなのでしょう。
 そして、洗い場にいるのは娘さんのはず。
 とても、他人では続かないと思えました。
 
  水も旨いやろ。六甲の水や。
  この台詞如何ですか。
  今現在ではないんです。名水の類が販売される以前の時代に、水にまでこだわっていたのです。
「休みは月に二日やけど、買い出しで終いやね」
  一日は、生まれ故郷である京都で、しば漬けを買い、もう一日は新潟の農家を訪ね、極上米を求めるのだそうです。
 ここまでしている人なのです。
「御馳走様でした」
 デザートのメロンも食べ終わり煙草に火をつけようとすると
「まだ残っとる」
 そんなはずはない。椅麗に食べたはずなのにと思っていたら

  わての選んだメロンは残り汁かて旨いんや!
  飲んでや


 私めの『お客道』は、この日から始まりました。
 …翌日も客となり、そこでまたご教授賜ったのでありますが、そのハナシは秘密です。

「おおきに、ありがとう」
 最敬礼して店を出る私めを、仏門に帰依しているのでしょう合掌して見送ってくれました。
「外は暑いですから、どうぞ、もうお店に入って下さい」
  何回、振り返ったことでしょうか、そのたびに御主人は店の前で同じ合掌した姿でいたのです。

  店の名は 暫(かんざし)御主人は木村香園さん。
  今はもうありません。
  御主人ずるいよ。味まで天国へ持ってっちゃ。
  誰かに伝えて欲しかったな、あの、こだわりを。
「よく、いい店を見つけるね」
  人は言います。
  はっきりいって、旨いものに出会える運があります。
  私め自身も、不思議なのですが
「あゝ、しもうた。あれ教えるの忘れてた」
  御主人が天国から導いてくれているのではないかと思ってます。

  包丁塚。
  物故した味・職人が使った包丁を埋めて供養した碑です。
 
写真のもの以外にも、日本全国いたる所にあります。
(板前協会、調理師組合などの組織によって建立されてます)
  見かける場面ございましたら、
「御馳走様でした」
  と、合掌しようではありませんか。

 

 
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