熱海という地名から何を連想しますか?
「温泉!」
 と、言う人が一番多いことでしょう。
「社内旅行!」
 と、言う人も多いでしょう。
 かつて高度成長時代、慰安旅行のシンボルでした。 
「新婚旅行!」
 と、言う初老の方もいらっしゃいますよね。
 今では考えられませんが熱海はかつて新婚旅行のメッカだったんです。
 「金色夜叉」
 という人はいらっしゃいませんか?
 
お宮の松


「熱海の海岸〜♪
 散歩する〜♪
 寛一お宮のふたりづれ〜♪」

 今もこの写真にあります、お宮の松から、この歌が流れています。
  尾崎紅葉の金色夜叉に描かれた名場面の舞台・熱海海岸には、このお宮の松と並んで『寛一お宮の像』も建っています。
 (この下の写真)


 尾崎紅葉を
「オザキモミジってどんなモミジなの?」
 
寛一お宮像

 はたまた金色夜叉を
「きんいろよるまた」
 と読んでしまうくらい、もはや物語を知る人は希少になりました。
 ですから、このイラストを見ても

 不自然に感じない人の方が多くなりました。
 もはや金色夜叉は忘れられようとしています。
 そして素晴らしき温泉地・熱海も忘れられようとしています。

 かつてバブリーな時代
「お客を外に出したら罰金!」
 ホテル内で過ごさせるスタイルをとっていました。
 熱海には味の名店が多くあるのに
「ホテルのラーメンまずかったなぁ」
 小さなぼやきが積み重なって
「熱海かぁ〜魅力ないなぁ」
 大きな不信となって今日の衰退につながっています。
 ……これは別府にもいえますね。
 熱海のお隣、伊東は最近になってようやく
「お土産は地元の商店街へ」
 ホテルと商店街が共存共栄をはかるようになって、本来あるべき姿へと変貌しつつあります。 
 おっと、話がそれました。
 この件は、後日、町おこし見聞録でくわしくご案内します。

熱海は観光ポイントの宝庫
 
熱海は見どころがいっぱいあります。
 走り湯、MOA美術館、梅園といったところが、ガイドブックやホテルの観光案内に記されている代表選手でしょう。
 観光タクシーが充実していてコース設定をしていますから、三人とかで利用すれば格安に効率良く見て回れます。
 ……でも、いちど歩いてみて下さい。
 タクシーでは見落としてしまうところに、意外な石碑や記念碑が建っていて、興味深い話を当世に伝えたがっています。
 
前出の尾崎紅葉や中山晋平、井上省三といった熱海ゆかりの人たちの足跡を辿るのも一興です。


 そうそう、坪内逍遥の墓も熱海にあります。
(左の写真)
 …あの奥方と眠っています。

 松本清張の『文豪』を読んだ人にとって感慨深い墓参となることでしょう。
 耳を澄ませば民家から三味の音が聞こえてきます。
 (まさに旅のBGMです)

 そして、いいお寺、お宮さんがいっぱいあります。
(観光寺ではありませんから、拝観料はとられません)
 熱海は散策に適した地です。


 バブリーな時代、熱海によく行きました

「熱海に通った」
 というほど企業のご招待会に招かれて仕事がありました。
「…嗚呼、あのホテルもなくなったかぁ」
 思い出多いホテルの大半が今はなくなっています。
 
 すっかりと様変わりした最近の熱海でのことです。 
  
「ポメラミアンですか、かわいいですね。従業員の人が飼ってるんですか?」
 朝のフロントに子犬がいました。
「お客さんが捨てていったんですよ」
 清掃係の人が発見して
「もしや忘れ犬では」
 宿帳から宿泊客に連絡するが、そこは違うの人の家。
「まったくもう、うちの裏は粗大ゴミの山ですよ」
 バブリーな時代の宿泊客は温泉ホテルを不要品の捨て場所にしていました。
 衣類、食器・調理器具、家電製品、けっこうな大物をゴルフバックやトランクに入れて持ち込んでいたようです。

旅の記念に
「昔は盗まれて困ったもんですけど……」
 皆さんも悪戯半分でホテルの浴衣やタオル、灰皿、湯飲み茶碗などを自宅のアイテムにしてしまった体験がおありでしょう。
「どうやって持ち帰ったか分からないんですけど冷蔵庫を盗まれたこともありましたねぇ」
 それが変われば変わるもの。
 ペットをホテルに捨てていく人が現れるようになりました。
 しかし、この熱海は、犬を捨てて欲しくないところです。
 それは、犬にまつわる幕末秘話が熱海にはあるからなのです。
 外犬墓地が熱海にあります。

ニューフジヤホテル


外人墓地ではありません。外犬墓地です。
(当世は外国犬墓地と表記しなければいけないかも?)
 

 ニューフジヤホテルの裏手に、今は人工的な噴出になってしまった『大湯間欠泉』のところにあります。

「俺が最初だぞ〜!」
 1859年(安政の大獄の年)に来日した初代・駐日英国公使のオールコックは、外国人として、初めて富士登山をした記念碑を、この場所に建てて、めでたし、めでたしというその時
「キャイ〜ン」
 お供の愛犬トビー君は、間欠泉から噴出した熱湯を浴びて大ヤケドを負い。看護むなしく死んでしまいました。
 大変な愛犬家であったオールコックの悲しみは、ひとしおでした。
 そんなオールコックを哀れに思った熱海の人たちは、トビー君の大好物だった大豆を供え、お坊さんを呼んでお経をあげ、人を悼むのと変わらない葬儀をしてあげました。
「ウッソ〜ッ、日本人は野蛮人のはずなのに」 
 来日以来、生麦事件・品川英国公使館焼き討ち事件などが、立て続けに身の回りで起きていたのですから、オールコックの感激は、とてつもなく大きかったはずです。

 水戸浪士が真夜中に襲撃したときは危機一髪、風呂桶の中に身を隠して難を逃れたという体験をしていました。
「東洋人は、脅せばいい」
 英国人は清で、物騒な教訓を得ました。
 
 この人が
オールコックです
オールコック肖像

 全ての交渉の場において、居丈高に高圧的態度で臨んでいましたが
「接し方を改めよう」
 オールコックのおかげで、静かな会談が持てるようになりました。
 
その後も、長州の攘夷・薩英戦争・水兵斬殺事件とトラブルが続きますが
「革命期の混乱に巻き込まれているのだからしょうがない」
 オールコックはそのつど、本国へ日本びいきの報告をしてくれました。
「敵視すべきでない。むしろ親しむべき民族である」
 ついには、本国の上層部と意見が対立し、それがため、解雇されてしまいますが、帰国後も、日本の本当の姿を知らせる文筆活動をしてくれたのです。
 世界に向けて、日本を紹介してくれた人だったのです。
 やがて、英国は親日に傾き、ついには日英同盟を結ぶまでになった。
 その陰にはオールコックあり!
 と言ってはオーバーでしょうか……。

 (詳しくは、オールコック著『大君の都』《岩波新書》をどうぞ)
 旅先でしてもらった親切とは、与えてくた御当地の人が忘れても、旅行者はいつまでも忘れません。

 熱海の人たちの優しい心根が、英国公使のハートを捉えたという幕末秘話を今に伝える外犬墓地。
 
それは気付かないで通り過ぎてしまいそうなところにあります。
「…そんな話があったんですか」
 フロントの犬はトビー君と名付けられました。

 
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